【結成】
1965年(昭和40年)11月12日。会場:大崩会館(現在松風閣のある場所に建っていた)
スポンサー:藤枝ライオンズクラブ、結成当初メンバー(チャーターメンバー)は43名。
地区順位№31、日本順位№987。
【チャーターナイト】
1966年(昭和41年)4月10日。会場:県立焼津中央高校講堂
アトラクション:フランク永井ショー
*元雑誌記者であったCMのL佐塚重義がビクター芸能者へ赴き依頼、たまたまゴルフで休みをとっていたた め来焼が実現した。ピアノも会員の自宅にあるものを運んで使うなど当時ならではの苦労があったと言う。(CN50周年を記念して行ったチャーターメンバー座談会より)
【はじめての事業】
1965年、中部太平洋のマリアナ海域で10月7日、静岡県のカツオ漁船団7隻が台風に巻き込まれ遭難した。巡視船や自衛艦に米軍機も加わって捜索にあたったが、救助されたのは漂流していた3人とアグリガン島に上陸していた39人だけで、残る6隻209人は行方不明のままになった。静岡県戸田村では74人の働き手を一度に失った。親子何代も海一筋に生きてきた漁村にI残された家族は、厳しい現実に直面した。(NHKアーカイブスより引用)
この中には焼津漁協所属の第3千代丸と第8国生丸も含まれていた。結成間もない当クラブはすぐに義援金を送り技サ医者を支援した。漁業の町 焼津に初めて誕生したクラブらしいアクティビティと言えるのではなかったかと思う。
【クラブ会報 今・昔】
左:会報創刊号
右:会報2021.4.14発行号
クラブ会報の創刊号は1967年2月28日、当時はB5判、白黒印刷であった。現在はA4判カラー印刷となったが創刊以来変らぬものがある。柿田川湧水や富士山に関係する多くの作品を残した藤枝市の日本画家 三宅太郎氏による表紙ロゴだ。54年を経ても三宅氏のロゴデザインは当クラブ会報のシンボルマークとして愛され続けている。