例会

ようこそ城下町杵築へ

杵築市は情緒あふれる城下町で、九州豊後路の小京都と呼ばれています。

守江湾を一望出来る高台の杵築城は、大友一族「木付頼直」が1394年(南北朝時代)に「木付城」として築城。その後江戸時代になると、譜代松平氏が治め「杵築城」と改名されました。

この城下町の特徴は、城を中心に、南北の高台に武家屋敷群があり、その谷間に商人の町が作られた事で、全国的にも珍しい凸凹のある「サンドイッチ型城下町」と呼ばれています。

武家屋敷エリアと商人町のエリアを結ぶ石畳の坂道は、今もなお江戸時代の風情を色濃く残し、坂の名前と共に多くの人々に愛され続けています。

 

酢屋の坂 江戸時代に、この坂の下にお酢を醸造して販売する「酢屋」があった事からこの名が付けられた。杵築では最も有名な坂道で、NHKの朝ドラの舞台になった事もある。

 

志保屋の坂 酢屋の坂の対面にある坂道で、こちらも坂の下に当時「塩屋」があった事でこの名が付けられた。この坂の上は南台と呼ばれ、多くの武家屋敷が当時存在していた。

 

勘定場の坂 この坂の下に当時「勘定場」と呼ばれる藩の税収を管理する役所があった事から、その名が付けられた。坂の途中の石畳に富士山の形が浮かび上がっている石があり、それを見つけるのも楽しみのひとつとなっている。

 

飴屋の坂 この坂道は他の坂道と異なり「くの字」に曲がっている所が大きな特徴である。名前の由来としては、坂の下に「飴屋」があったからだと言われているが、石畳の縁に白い石が使われている為「雨夜」でも良く見えて「雨夜の坂」と呼ばれた事が由来だとも言われている。

 

杵築城 南北朝時代に築城されたのが始まりで、南は八坂川、北は高山川、東は守江湾という自然の要害に守られ、戦国時代の激戦にも耐え抜いた平山城である。現在は模擬天守となり、内部は歴史資料館になっているので、この地ゆかりの展示品を数多く観覧する事が出来る。

 

ライオンズクラブ国際協会ニュース
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